ネット販売の光と影

24時間購入できるからネット通販

改めて、なぜ「インターネット」通販がここまで隆盛したのかということを考えてみましょう。私たちの生活に深く関わるようになったインターネット、いつしか私たちの生活から欠かせなくなったインターネットを用いて売買することの「意味」を、改めて考えてみましょう。

私たちが生きる上で「生活圏」というものがあります。それは生活する上での行動範囲といってもいいでしょう。人によって生活圏は違うものです。そして、人は成長する中で生活圏を広げていくものです。生まれたばかりの頃は「家」、「家族の元」が唯一の生活圏であり、自分が生きるための唯一のテリトリーだったはずです。やがて私たちは歩けるようになり、話せるようになり、学校に通ったりすることで家から徐々に離れていくのです。成長することで新しいコミュニティに参加したりするものです。

インターネットが無い頃は、そのようにして自分で広げたコミュニティの中で得る情報や、テレビやラジオ、雑誌や新聞などが伝えてくれる情報が唯一のものでした。それこそ、地球の裏側はもとよりとなり町の人がどのようなことを考えているのか、違うコミュニティでは何が流行っているのか、などということは誰もわからなかったのです。それらを憶測するための「噂」のようなものはあったとしても、それらを裏付ける証拠などは得る術がありませんでした。

私たちの生活に「インターネット」が進出して来た頃も、ある意味ではそうでした。「インターネット」に対して、10数年前では未だ先進的なものとして捉えられていて、現実のコミュニティとインターネット上のコミュニティには違いがあったものでした。さまざまな情報が得られる下地はできつつあったものの、それらの中から「本当のこと」はなんなのかということを取捨選択する必要すらありました。やはり最初にインターネットを用い始めたのは限られた人であったような気がします。先駆的で、先進的なことを好む人、イノベーターやアーリーアダプターといった属性の人が、インターネットの使い方の常識を構築しだしたのです。「ネチケット」という言葉は今では懐かしいものですが、当時は深く考えさせられるインターネット上の倫理だったのです。

やがてインターネットは「当たり前のもの」として私たちの生活に深く根ざすようになりました。24時間稼働し続けるインターネット上には、常に無数の人がさまざまな情報にアクセスしています。それらは「トラフィック」と呼ばれ、インターネット上での人の「参照」の流れです。それらにはさまざまな「ニーズ」があり、なかには「買いたい」という、私たちにとってはごく自然なニーズも込められるようになりました。モノを買うということにつきまとっていた物理的な制約、時間の制約は、インターネット以前からの「通信販売」ですでにクリアされていたかに見えますが、実はそれのカタログを私たちに伝えるための媒体には時間や紙面の制約があったのです。インターネットはそれらの制約を一気に乗り越えることができる媒体です。見たいものを見たいだけ、知りたいことを知りたいだけ、参照することができるのです。インターネットでモノを買うということは、私たちの消費を変えた、ひとつの革命であるといってもいいのです。