ネット販売の光と影

「何かを売る」という責任

何かを「売る」ということの「責任」を考えたいものです。「売る」ということは特定の商材を提供することで「対価」を得ることです。

「お金」には額面以上の価値があります。人の収入はそれぞれです。学んできたこと、境遇、それぞれ違います。お金をたくさん稼いでいれば偉いのか、というとそういうわけではなく、人はそれぞれの役割のなかで最大限社会に貢献しようとしているのでしょう。同じお金を得るためでも「どうやって稼いだのか」ということはみんなバラバラなのです。同じ金額を稼ぐためにも、人によって労力が違うということです。人によってお金の価値が違うとまでは言い切りませんが、人によって資産が違うのは事実で、その金額を稼ぐために欠けた時間も違うということです。

「モノ」の価値というものは不思議なもので、「金額」をつけなければいけないのはすべてのビジネスで共通です。無料で提供するわけではないのですから、そのモノの価値を定めるということが何においても必要なのです。そのようにしてつけた「値段」は、「どれくらいの個数が売れるのか」ということと相まってそのビジネスを構成する最小単位になります。モノの値段は現実的につけられるものです。仕入れ価格に対してどれくらいの利益を出したいのかということ、もしくはその商品を製造するための「原価」です。

私たちは人によって本当の価値が違う「お金」を、それらのさまざまなモノを手にするために消費します。沢山お金がある人であれば、ある程度は自分の好きなものを自由に買えるでしょう。対して、まだ働いておらず、両親などから小遣いとしてもらっている「お金」は、本人が稼いだお金ではないですし、さらには自分ではどうすることもできない、両親から貰わなければ得られないお金でもあります。両者は同じ金額であっても意味合いが違うのです。お金持ちであれば、「また別のものを買おう」ということになるのですが、小遣いを使うような場合は「取り返しのつかない選択」ということになるのです。

そのような、人によってさまざまな価値を持つお金を消費させるということは、金額以上の責任があると考えたいものです。モノの価値、仕事の価値は、額面の金額では測れないものだということです。「売る」ということは、本来「金額以上」の価値を提供できなければいけないものです。「値段相応」では、私たちは納得しないのです。安くてもいいもの、高いのであればそれ以上の価値を持つものを、私たちは求めています。

人から大切なお金をいただくわけです。同じ1万円でもそれを稼ぐための労力は人によって違ったわけです。そのような「お金」を人に払ってもらうためには、その人がその金額をえるためにかけた労力以上の価値がなければいけないのです。ただ原価と売価だけを見て、粗利を計算するだけではいけません。そのモノの価値とはなんなのか、買えばどのような体験ができるのか、そのようなことを加味して、「金額以上」の価値を提供することを考えなければいけません。それが「モノを売る」という事の命題です。ビジネスとして利潤を得るためには、それ以上の価値を人に提供する必要があるのです。